ラストダンスは私に

母の介護日記です

夢の片鱗

先週、14日の火曜日は、横須賀から叔母がお見舞いにやってきた。母の2歳違いの妹だ。80歳を超えた叔母も今、自宅で介護生活をしているので、家を空けることが難しい。大変な状況なのに、とても元気で、日頃話し相手がいないせいか、本当によくしゃべった。そんな叔母の思い出話を通じて、私の知らない母に出会った。

母の故郷は野生の熊や猿がいるような山奥にある。父親を戦争でなくし、男手のない農家の長女として母は育った。子供の頃は、水車小屋まで街灯もない真っ暗な夜道を一里(約4キロ)も歩いて米俵の番をするのが仕事だったという。脚が丈夫になるはずだ。

意外だったのが、詩や短歌が好きな文学少女で、萩原朔太郎の雑誌に投稿して作品が掲載されたこともあったということ。そんな姉の影響を受けて、自分も創作が好きになったのだと叔母は言っていた。

母が詩や短歌が好きというのは初耳で、かなりびっくりした。私が覚えているかぎり、母が本を読んでいるのをみたことがなかったから、そういうことに興味のない人だと思っていた。ましてや詩や短歌を書いていたなんて。小学校の教員として働きながら4人の子供を育てた母。自分の楽しみのために読書をする時間など、まるでなかったに違いない。私も仕事が忙しいときは、本を読む時間も気持ちのゆとりもなかったので、よくわかる。

でもそう言われてみれば、定年退職後に源氏物語の朗読CDか何かを通販で買っていたっけ。結局ほとんど聞かずにしまい込んでいたみたいだけど。それから、いつだったか国会議員の与謝野馨与謝野晶子の子孫だと知ったとき、ひとしきり感心していたこともあった。

母の中にしまい込まれた夢の片鱗を、記憶の中で拾い集める。

「お母さん、むかし詩とか短歌が好きだったんだってね。今度また作ってみたら?」

枕元で話しかけると、うっすらと目を開いて、じわりと涙をにじませた。