ラストダンスは私に

母の介護日記です

点滴をやめる

点滴を続けるべきか、やめるべきか。それが問題だ・・・。ハムレットばりのシリアスな顔で悩んでいたけど、母の「あっかんべー」を見て以来、私の中で拮抗していた力が、ふにゃっと抜けてしまった。

 

翌木曜日。看護師さんがやってきて、前の日に刺したままにしておいた点滴の針に、その日新たな点滴の管をつないでもらった。1時間ほど経った頃、ふと点滴を見ると、雫が止まっている。訪問看護ステーションに問い合わせてみると、肘の近くに針を刺している場合、肘を曲げていると落ちないことがあるのと言われた。たしかに母は肘を力一杯曲げていたので、肘を伸ばしてもらうと、無事滴が再開した。しばらくしてもう一度母の様子を見ると、針をさしたあたりが少し腫れ上がっていて、シーツにはもれた点滴でシミができていた。もう一度訪問看護ステーションに電話して、今度は点滴をはずしてもらった。仕事を終えて「帰りますね」とあいさつをした看護師さんに、母は手を伸ばして握手した。

 

その日は、そのあと大事な出来事があった。

母には長年の懸案事項があった。生まれ故郷の土地の相続問題だ。それは35年前に亡くなった母の母の名義だったが、色々と事情があって相続が先送りにされていた。母は長年にわたりそのことで相当頭を悩ませ続けていたが、今年に入ってようやく相続手続きが動き始めていた。なにぶんにも時間が経ち過ぎていたので法定相続人がどんどん増えてゆき、全員の遺産分割協議書がそろうのが先か、母の命が尽きるのが先かと、家族も担当してくれた若い司法書士さんも気を揉んでいた。そしてその日、ついにすべての書類が整い、司法書士さんが書類をもって家にやってきた。そして病床の母の了解を得て書類に印鑑が押され、土地が母の名義になったのだった。現代社会ではほとんど資産価値のない土地だけど、母にとっては先祖から受け継いだ大切な山や畑だ。家長としての責任感をもって、母はついにその仕事を成し遂げたのだった。

「よかったね、お母さん。おめでとう」私がそう言うと、母は「若いもんが頑張ってくれたおかげだよ」「みんなで力を合わせれば何とかなる」というようなことを、かすれる声で一生懸命に話した。久しぶりに聞く、母の声だった。

 

点滴を中断したこと、長年の懸案事項が解決したことーー。いくつかの偶然が重なる時、まるで出来事に呼ばれたように感じることがある。早すぎもせず、遅すぎもしない、これがタイミングということなのかもしれない。一連の流れを見て、点滴をやめることで私の考えは落ち着いた。

翌日の金曜日の夜、兄弟4人で家族会議を開いた。点滴をやめることで、全員の意見が一致した。これからは水分を欲しがる分だけ摂ってもらって、あとは自然の経過にまかせることになる。

それにしても、「あっかんべー」はすごい説得力だった。この話をしたら、ドクターも看護師さんもヘルパーさんも、みんな大笑いしてくれた。