ラストダンスは私に

母の介護日記です

二重苦

5月10日金曜日、この日もまた元気がない。

トイレに行きたいと言うので体を起こしてあげたが、座っていることができず、必死に体を支えたが、そのまま後ろ向きに倒れてしまった。

この日は座薬を使い始めて3日目。ようやく便意をもよおしたものの出せなくて、つらそうにしていた。

 

10時にケアマネさん来訪。体を拭いたりシャンプーしてもらうことになっていたが、母はどちらもしてほしくないという。体を拭いてもらう代わりに、お腹をマッサージしてもらっていた。

11時、ケアマネさんが帰ったあと、母は声を絞り出して「今日、先生来る?」と聞いたので、「もうすぐ来るよ」と答えた。その矢先、玄関のチャイムが鳴り、「ほら、来た」と玄関に先生を迎えに行った。

先生は母の顔をみるなり、おやという顔をした。「梗塞っぽいな」と言って、一緒にいた看護師さんと顔を見合わせた。母の両目は不自然に右上を向いていた。「いつからこうでしたか?」「ついさっきまでは普通で…」母は左半身が麻痺してしまったようだった。

癌に加えて、脳梗塞。高血圧だった母はこれまでも小さい梗塞はあったけど、幸い大事には至っていなかった。

もしかしたら前日から具合が悪かったのも、その予兆だったのかもしれない。本人は体調が悪くても、そもそも病気で寝ていたので、異変を表現できなかったのかもしれない。

母がうちに来てから、ドクターと看護師さんが毎日交代で来てくれていたけど、もし病院にいたら、事前に異変を察知できていただろうか。わからない。血圧の薬も時々喉を通らないときがあった。毎日の点滴のほかに、こまめに水を飲ませるようにしていたけど、それでも水分が不足して、血液がドロドロになっていたかもしれない。色々考えることはできるけど、自分を責めるのはやめようと思う。

 

半身が麻痺していても、手のサインで意思を伝えることはできる。その日の午後、母はオムツを指差し、オムツを替えてほしいと訴えた。そこでオムツを開いて見ると、そこは茶色い海だった。朝からもよおしていた便がようやく出てきたのだった。

「ひゃ〜来た〜」と言いながら、オムツを替える。手に便がつくが、不思議と汚いとは思わなかった。

しかも左半身が麻痺しているので、母の体がいつもより重い。オムツ替えが終わる頃には、汗だくになってしまった。母はそんな私の手を握って、満足気にブンブン振った。「ありがとう」の握手のようだ。

数時間後、また「オムツを替えてほしい」のサイン。オムツをあけると、そこは再び茶色い海。「ひゃ〜またか〜」と思いながらオムツ替え。

さらに数時間後、オムツ替えのサイン。恐る恐るオムツの中を見ると、そこは三度茶色の海。もー無理、ひとりじゃ無理。私は訪問看護ステーションに電話して助けを求めた。

すぐに来てくれた看護師さんは、さすがの手際の良さでオムツを替えてくれただけでなく、「摘便」といって、詰まっていた便を手で掻き出してくれた。すごいなあ、看護師って。